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地元民が語る加古川ネタ知っとう?

加古川市の教信寺に取材に行ってまいりました。

庶民仏教の普及に努めた沙弥教信ゆかりの寺

【地元民が語る加古川ネタ知っとう?】は、加古川の地元民だからこそ知るスポットやイベントの情報を突撃取材し、加古川の魅力をバシバシ播州弁で発信していくコーナーです。
わがまち加古川60選
わがまち加古川60選
ども、加古川ご当地ライター まっすんです。

今回は、好評の「わがまち加古川60選」シリーズの教信寺に取材に行ってまいりました!!

天台宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。平安時代前期の僧、沙弥教信(しゃみきょうしん)がこの野口に庵をつくりました。

念仏を唱えながら仏の教えを説き、お百姓の手伝いをし、わらじを作って貧しい人に与えたり、旅をするお年寄りの荷物を運んだりして、大勢の人を助けたことから「荷送り上人」や「阿弥陀丸」とも呼ばれました。庶民仏教の普及に努めた庵跡に建てられたのが教信寺です。

境内の左手奥に教信上人廟があります。春には、満開の桜が境内を彩ります。
教信寺(野口城跡)
教信寺(野口城跡)
また羽柴秀吉の播磨攻めの時、寺の東側にあった野口城では、黒田官兵衛が指揮した秀吉軍と教信寺の僧兵と野口城兵が戦いましたが、奮戦やむなく落城しました。

野口城の位置については、近世の山陽道の北側にあった説と南側にあった説があります。
正門
正門
左側の「わがまち加古川60選」の看板を過ぎると、正面に正門がどーん!!

確かに歴史情緒を感じる佇まいですね。

早速中にはいってみましょう!!
史跡教信寺と沙弥教信
史跡教信寺と沙弥教信
門をくぐると早速お寺の説明が書いてありました。


「教信寺は、平安時代に活躍した教信上人の庵の跡に建てられた寺院です。

教信上人は天応元年(781)奈良に生まれ、興福寺で学んだ後、16歳の時に同寺を出て諸国を行脚し、40年余りの後、賀古の駅(うまや)にたどり着き庵を結びました。

加古川での教信の活動は、ひらすらに念仏を唱えながら、街道を行く旅人の手助けをするというもので、東は明石から西は阿弥陀宿(現高砂市阿弥陀町)まで荷物を運んだと言います。

また教信寺の南に広がる駅ケ池も教信が地元の人々と掘った物だと言われています。

貞観8年(866)、自らの死期を悟った教信は、妻と子に遺骸は庵の側に捨てて鳥獣に施して欲しいと言い残して亡くなりました。

同じ時摂津国勝尾寺(現大阪府箕面市)の僧勝如の夢に教信が現れ、自らの死を告げました。
これが、現在教信寺伝わる教信頭部像だと言われています。

その後、清和天皇(850880)が教信寺と改めたとされています。

天正6年(1578)秀吉の三木城攻めにともない野口城が攻略され、教信寺もすべて焼かれてしまいましたが、緒尊は僧らの手によって焼失を免れ、元和年間(1615~1623)に再興されました。

教信は一遍や親鸞にも先達として仰がれ、とくに一遍は諸国を巡るたびの途中、教信寺で1泊して念仏踊りを興行し、これが現在の播州音頭の起源であると言われています。」


と書かれておりました。

鐘
看板の側には、大きな立派な鐘がかかっておりました。

年末には除夜の鐘をこのあたりの方が鳴らしにくるのかな!?

石の土台がしっかりした鐘なので、重厚感を感じます。
本堂
本堂
こちらが本堂です。

シンメトリーな作りで、安定感を感じますね。

流線型の富士山のような屋根の傾斜が美しい!!

天台宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。

平安時代前期の僧、沙弥教信(しゃみきょうしん)がこの野口に庵をつくられたそうです。


本堂正面
本堂正面
この本堂で、念仏を唱えなながら仏の教えを説き、お百姓の手伝いをし、わらじを作って貧しい人に与えたり、旅をするお年寄りの荷物を運んだりして、大勢の人を助けたことから「荷造り上人」や「阿弥陀丸」とも呼ばれておりました。
本堂看板
本堂看板
本尊は阿弥陀如来像です。

天正の兵乱後、元和年間(16151623)に再興した本堂は、天宝11年(1840)に再び焼失しています。

安政2年(1855)の、板書きの10分の1本堂図が残っていますが、完成はしていません。

現在の本堂は、もと書写山如意輪寺(女人堂)にあった寄棟作り本瓦葺きの念仏堂で、応永5年(1398)の建立と伝えられています。

破損が激しかったため、明治11年(1878)に取り壊しを願い出たものを、明治13年(1880)に教信寺がもらい受け、檀徒が協力して移築しました。

その後、昭和57年(1982)に屋根瓦を葺き替えています。

平成7年(1995)の阪神淡路大震災では、壊滅的な損壊を受けましたが、多くの援助により復興し、その際、本堂後半部の石積みの基礎を取り去り、回り縁としています。
薬師堂
薬師堂
こちらは本堂とは別にある薬師寺。

庶民仏教の普及に努めた庵跡に建てられたのが教信寺とのことです。


薬師堂看板
薬師堂看板
薬師堂は、

明治25年(1892)の建立と伝わる旧開山堂です。

平成7年(1995)の被災状況は3堂中最軽微であったが、東大壁全面が傾斜して倒壊寸前でした。

復旧後の平成13年(2001)以来、本堂脇壇にあった薬師三尊を中心に、脇壇に大日如来と大師像を祀り、薬師堂と称しているとのことです。
開山堂
開山堂
境内の左手奥に教信上人廊があります。

春には、満開の桜が境内を彩ります。
開山堂看板
開山堂看板
開山堂は、

本尊は教信上人頭部像です。

天正の兵乱後、元和年間(16151623)に観音堂が再興しましたが、天保11年(1840)に焼失し、その後再建されましたが時期は不詳です。

老朽化や破損が激しかった所に、平成7年(1995)の震災で修復不能となり、基礎以外の部材は殆ど入れ替わりました。

復興の完了した平成13年(2001)から開山堂に変更しているとのことです。
石造五輪塔側門
石造五輪塔側門
この奥が、教信上人の墓塔と伝えられる石造五輪塔が廊所内にあります。

高さ208cmで花崗岩製、請花・笠・台石の一部に欠けがありますが、堂々とした風格をもっています。

各部の形式や彫法などから推測すると鎌倉時代末期のものと思われ、県指定文化財となっています。
教信沙弥廊
教信沙弥廊
門の左側に、「教信沙弥廊」と書いてある看板が立っておりましたが老朽化が進んでおり、しっかり読むことは難しいですが、このお寺のポイントとなるスポットです!!
石造五輪塔
石造五輪塔
教信上人の墓塔と伝えられる石造五輪塔が廊所内にあります。

高さ208cmで花崗岩製、請花・笠・台石の一部に欠けがありますが、堂々とした風格をもっています。

各部の形式や彫法などから推定すると鎌倉時代末期のものと思われ、県指定文化財となっています。
▼ 教信寺の紹介動画はこちらから!! ▼
《 ここのポイントは要チェック 》

・ 石造五輪塔(県指定文化財)はチェック!!

・ わがまち加古川60選!!

・ 開山堂・薬師堂は要チェック!!

・ 桜の季節に参拝すべし!!
所在地 兵庫県加古川市野口町野口465
アクセス 神姫バス「野口」下車すぐ
問い合わせ 教信寺  TEL(079)422-7189

【加古川ご当地ライター まっすんのプロフィール】

加古川に生まれ、学生時代はずっと加古川で過ごし大学は東大阪の近畿大学でしたが、加古川から通っておりましたので約20年ぐらい加古川で生まれ育ちました。
その後、大阪・神戸で仕事しておりましたが、4年前から加古川駅前に「起業支援型レンタルオフィス」の立ち上げに関わり、現在も加古川で働いております。

▼ 加古川駅前の起業支援シェアオフィスはこちら!!
http://www.erinserve.com/kakogawa/