地元民が語る加古川ネタ知っとう?
今も地域で受け継がれる地蔵盆と、不思議な“身代わり地蔵”の伝説を、ご当地ライターまっすんが訪ねました。
【地元民が語る加古川ネタ知っとう?】は、加古川の地元民だからこそ知るスポットやイベントの情報を突撃取材し、加古川の魅力を発信していくコーナーです。

【胴切れの地蔵】

【胴切れの地蔵】
こんにちは!
加古川のまちを歩きながら、地域の歴史や自然、ちょっと気になるスポットを紹介している「ご当地ライターまっすん」です。
普段何気なく通っている道のすぐそばに、何百年もの歴史や地域の人たちが語り継いできた物語が残っている——。
そんな場所が加古川にはいくつもあります。
今回訪れたのは、加古川町平野にある「胴切れの地蔵」。
「胴切れ」という名前を初めて聞くと、「どうして、 そんな名前が付いているんだろう?」 と気になる方も多いのではないでしょうか。
実はここには、西国街道を舞台にした、ちょっと不思議な「身代わり地蔵」の伝説が残っています。
しかもこのお地蔵さん、2025年3月6日に加古川市登録文化財に登録されました。
今回は実際に現地を歩きながら、加古川のまちに残る不思議な物語を訪ねてみました。

【胴切れの地蔵】
■ 西国街道沿いにひっそりと建つ地蔵堂
場所は加古川市加古川町平野178番地。
加古川市の中心市街地からもそれほど離れていない場所ですが、地蔵堂の周辺を歩いてみると、どこか昔の加古川へ入り込んだような雰囲気があります。
地蔵堂の前には水路が流れ、その横を道路が通っています。
実はここは、かつての西国街道(近世山陽道)と、加古川宿の東側を流れる「庄内川」、あるいは「西の川」と呼ばれた水路が交差する場所。
つまり昔から、多くの人が行き交ってきた場所なのです。
現在は住宅や電柱、舗装道路など現代の風景が広がっていますが、地蔵堂、水路、旧街道、そして近くに残る煉瓦建物を一緒に眺めてみると、昔の加古川宿の面影が今のまちの中に重なって見えてきます。
車で通り過ぎてしまうと気付かないかもしれません。
だからこそ、こうした場所は「歩いてみる」のがおすすめです。

【胴切れの地蔵】
■ なぜ「胴切れの地蔵」と呼ばれているの?
地蔵堂に入ると、中央にお地蔵さんが祀られています。
正式名称は、「石造地蔵菩薩立像(せきぞうじぞうぼさつりゅうぞう)」。
像そのものの高さは68cm、石材全体では101cmあります。
使われているのは、播磨地域ではおなじみの竜山石(たつやまいし)。
右手には錫杖、左手には宝珠を持つ地蔵菩薩が彫られています。
制作年代ははっきりとは分かっていませんが、加古川市によると、室町時代後期から江戸時代前期、つまり16~17世紀頃のものと考えられています。
そして注目したいのが、お地蔵さんの「胴」。
腹部付近で上下に割れているのです。
ここに「胴切れの地蔵」という名前につながる伝承があります。

【胴切れの地蔵】
■ 大名行列を横切った男に起きた不思議な出来事
昔、このお地蔵さんをとても大切に信仰していた人がいました。
ある日、その人が西国街道を歩いていると、大名行列に出くわします。
ところが、うっかり行列の前を横切ってしまったのだそうです。
当時、大名行列の前を横切ることは大変な無礼。
その人は供の侍に斬られてしまいます。
ところが——。
気が付いてみると、本人は無事。
「いったい、どういうことだ?」
と思って、いつもお参りしていたお地蔵さんを見てみると……。
なんと、お地蔵さんの胴が真っ二つに割れていたというのです。
「お地蔵さんが自分の代わりになってくださったのではないか」
そう考えた人は、それまで以上にお地蔵さんを深く信仰するようになった——。
これが現在まで伝わる「胴切れの地蔵」身代わり伝説です。
もちろん伝承なので、実際にどのような出来事があったのかは分かりません。
しかし、何百年もの間、この話が地域で語り継がれてきたこと自体が、とても興味深いですよね。

【胴切れの地蔵】
■ 1764年の記録にも「地蔵」
このお地蔵さんの歴史を考えるうえで、もう一つ興味深い資料があります。
江戸時代の『中国行程記』(1764年)です。
加古川市によると、この資料にも現在のお地蔵さんがある位置に「地蔵」の表記が確認されています。
つまり少なくとも18世紀中頃には、この場所のお地蔵さんは人々に知られていたと考えられています。
西国街道を歩く旅人。
加古川宿を訪れた商人。
地域で暮らす人たち。
江戸時代にも、今と同じようにこの場所で手を合わせた人がいたのかもしれません。
そう考えながら地蔵堂に立ってみると、目の前の景色が少し違って見えてきます。
■ 今も地域の人たちによって守られる場所
印象的だったのは、「文化財だから保存されている」というだけではなく、今も地域の暮らしの中に生きている場所だということです。
太平洋戦争終戦前後までは、敷地内の藁葺き小屋に住む「堂守りさん」がお地蔵さんのお世話をしていたそうです。
現在は地域の皆さんによって大切に守られています。
そして毎年行われる地蔵盆には、加古川市によると600人以上もの参拝者が訪れるとのこと。
今回訪れてみると、境内には赤い「地蔵盆」ののぼりが立ち、堂内には大きな提灯。
お地蔵さんを「見る」のではなく、「お参りする」。
文化財でありながら、地域の信仰が今も続いていることが伝わってきます。

【胴切れの地蔵】
■ 2025年、加古川市登録文化財へ
「胴切れの地蔵」は、2025年3月6日、加古川市登録文化財となりました。
材質や造形そのものの価値はもちろんですが、このお地蔵さんの面白さは、それだけではありません。
西国街道。
加古川宿。
水路。
身代わり地蔵の伝承。
そして現在まで続く地域の信仰。
これらが一つの場所に重なっています。
文化財というと、博物館やお寺の奥に保存されているものを想像しがちですが、ここでは今も人々が暮らすまちの中に歴史がそのまま残っています。
■ ご当地ライターまっすんの取材後記
今回歩いてみて感じたのは、加古川には「知ってから歩くと景色が変わる場所」がまだまだたくさんあるということ。
胴切れの地蔵も、何も知らなければ小さなお堂として通り過ぎてしまうかもしれません。
ところが、
「ここは西国街道だった」
「江戸時代の資料にも地蔵が記されている」
「身代わりになったという伝説が残っている」
「今も地域の人たちがお世話をしている」
と知ってから歩いてみると、一気に風景が立体的になります。
特に面白いのは、お堂だけを見るのではなく、周囲の水路や旧街道、煉瓦建物まで一緒に見ること。
現在の加古川のまちの中に、近世から近代、そして現代までの時間が折り重なっていることを感じられます。
派手な観光スポットではありません。
でも、こういう場所にこそ「その土地らしさ」が残っているのかもしれませんね。
皆さんも加古川を歩く機会があれば、ぜひ「胴切れの地蔵」を訪ねてみてください。
そしてお地蔵さんの前では、地域で長く大切にされてきた場所であることを忘れず、静かに手を合わせてみてはいかがでしょうか。
ご当地ライターまっすんでした!
胴切れの地蔵 基本情報
名称:石造地蔵菩薩立像(胴切れの地蔵)
所在地:加古川市加古川町平野178番地
所有者:平野町内会
種類:彫刻
材質:竜山石(流紋岩質溶結凝灰岩)
像高:68cm
石材総高:101cm
推定年代:室町時代後期~江戸時代前期(16~17世紀頃)
加古川市登録文化財登録日:2025年3月6日
※地域の信仰の場です。見学・撮影の際は、周辺住民や参拝される方への配慮をお願いします。
参考:加古川市「石造地蔵菩薩立像(胴切れの地蔵)/市登録文化財」
【 記事作成日 2026年8月27日 】
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《 下記のポイントは要チェック 》
1. 約1300年前の歴史を知るために、まずは現地の案内板をじっくり読むべし!
2. 中西廃寺最大の見どころ、巨大な「塔の心礎」を間近で見るべし!
3. 境内に残る礎石を探しながら、かつての古代寺院の姿を想像するべし!
4. 弘法大師の伝承が残る「石井の清水」と周辺の自然を観察するべし!
5. 古代の記憶と現在の暮らしが重なる、のどかな田園風景を味わうべし!

【ご当地ライターまっすん】
【加古川ご当地ライター まっすん(増田真人)プロフィール】
高校まで加古川で育ち、大学は東大阪の近畿大学へ進学。人生の約20年間を加古川で過ごしました。
20代から30代前半にかけては大阪・神戸で勤務し、ビジネス経験を積んだ後、2012年より加古川駅前にて「会員制レンタルオフィス ~エリンサーブ~」の立ち上げに参画。
現在は起業支援を軸に活動しながら、複数の事業を同時に展開する“パラレルワーカー”として、地域に根ざした仕事づくりに取り組んでいます。
ご当地ライターとしては、加古川の魅力や人・場所・文化を発信し、地域と人をつなぐ役割を担っています。
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※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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