地元民が語る加古川ネタ知っとう?
真っ黄色の銀杏の大木が美しい「加古川城跡の称名寺」にいってまいりました~!!
加古川三大銀杏のひとつ「称名寺境内にある大銀杏」 は幹の周囲が約400cmもあります。
【地元民が語る加古川ネタ知っとう?】は、加古川の地元民だからこそ知るスポットやイベントの情報を突撃取材し、加古川の魅力をバシバシ播州弁で発信していくコーナーです。

【紅葉1】
ども、加古川ご当地ライターのまっすんです。
今回で、169記事目の掲載♪
大銀杏が美しい「称名寺」の取材にいってまいりました!!
加古川の秋の紅葉スポットといえば、ここでしょ!!
過去に3回取材したことがあり、今回で4回目の取材ですが、今年は、一番銀杏の黄色が綺麗なタイミングで来れました♪
ご当地ライターの維持!!(笑)

【紅葉2】
はじめて、取材した時の記事はこちら!!
加古川市の称名寺を取材してまいりました♪♪
(記事作成日;2017年3月27日)この時は、春先に取材したので、緑の銀杏しかみれませんでしたが、この写真は今回撮影したもの。正面からお寺に入って、左手にある墓地の前にある銀杏です。 
【紅葉3】

【紅葉4】
紅葉時期に、加古川城跡である「称名寺」を取材してまいりました~♪
(現地取材日:2020年11月27日)
これが前回3回目に取材した記事になりますが、ここの称名寺さんは、元加古川城の跡になります。
想像にはなりますが、お城があった頃から、この銀杏があったのか、お城があったから銀杏を植えたのか、定かではありませんが、歴史を感じながら黄色に色づいた銀杏を眺めるのもいいですね♪ 
【七騎供養塔】
先ほどのお写真の銀杏の手前に写っているのが、「供養塔」で説明の看板がたっておりました。
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【 七騎供養塔 】
この碑は、撰文も書も頼山陽の筆になるもので、文政三年に建立されたものです。
七騎とは、南北朝時代、正平五年、塩治判官高貢が、事実に相違する告げによって京都を追われ、本国の雲へ落ちて行く時、足利尊氏の軍勢に追われ、米田町船頭の附近で追いつかれていまいました。その時、弟の六郎他郎党七人が主を討たせまいとしてこの場所にふみ止まり、足利の軍勢と激しく戦いましたが、遂に全員討死してしまいました。
この七騎の塚が船頭附近にありましたが、洪水等で流されてしまい、今はもう残っていません。
この碑は、山田佐右衛門が願主となり、この七騎追弔のため、加古川の小石に法華経を一石に一字づつ書いて埋め、供養塔として建てようとしましたが、それを果さず亡くなり、寺家町の川西彦九郎、志方町の桜井九郎左衛門が施主となって完成させたものです。
なお、古賀精里の文、頼山陽の父頼清水の書になる七騎塚の碑が、米田町船頭の大師堂の境内に建てられています。
昭和五十九年三月
加古川市文化財保護協会
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やはりこちらのお寺は、歴史が深いですね。

【紅葉5】
こちらが、供養塔の向こうに見えていた2本目の銀杏で、近づいて見てみると、やはりかなり大きい銀杏になります。
実は、3本目にみてもらう銀杏がもっとも大きいです!!

【紅葉6】
どーん!!とこちら!!
お寺の本堂の正面中央にある大銀杏になります。半端ない大きさですよね!!
お写真からも伝わってくるものがあるかと思います。
このタイミングの大銀杏がみれて、今年の秋は、まっすんとてもハッピーです♪

【紅葉7】
そして、お寺の中にはこんな感じのもみじもあり、黄色と赤色のコントラストを楽しむことができます♪

【紅葉8】
最後に、入り口正面からみた3本セットの大銀杏バージョンのお写真♪
綺麗ですよね~!!
緑と黄色のマーブルな感じも、心が洗われます。とてもいい気持ちになりました。また来年もベストな時期に取材したいと思います。
次回の加古川取材をお楽しみに~♪
以上、ご当地ライターのまっすんでした~!!
(現地取材日:2021年11月8日)
▼ 「加古川市」が紹介されている動画はこちらから!! ▼
《 下記のポイントは要チェック 》
1. 秋のベストシーズンに称名寺を訪れるべし!!
2. 加古川の三大大銀杏を全部制覇すべし!!
3. 加古川城跡であることを思い出しながら眺めるべし!!
4. お寺中央の大銀杏には、感謝を伝えてみるべし!!
5. 供養塔の前では、しっかりと敬意を表すべし!!

【増田兄弟・兄まっすん】 ※ 写真は30代前半!!(笑)