地元民が語る加古川ネタ知っとう?
加古川市野口町にある古大内遺跡(賀古駅家跡)を取材してまいりました~!!
赤松氏の祖である源秀房の居城とも考えられていたが、それ以前の奈良時代後期から平安時代中期の遺跡として、古代山陽道に営まれた賀古駅家跡と考えられている。
【地元民が語る加古川ネタ知っとう?】は、加古川の地元民だからこそ知るスポットやイベントの情報を突撃取材し、加古川の魅力をバシバシ播州弁で発信していくコーナーです。
【大歳神社1】
ども、加古川ご当地ライターのまっすんです。
今回は「古大内城跡」の取材にいってまいりました!!
加古川って、結構お城跡の遺跡や神社が残ってたりするんですよね~、今回もそんなスポットを取材してまいりました~♪
【入り口】
ここのスポットは、国道2号線から割と近いスポットですが、住宅街っぽいところにあるので、このような細い道を入っていきます。
奥に鳥居が見えてますね!
まっすぐ進んで右手に曲がると、すぐに神社がでてきます。
【大歳神社2】
鳥居をくぐるとこんな感じ!!
正面に本殿がみえますね。
今年のお正月早々にいったので、青竹のなにか棒のようなものがかかっていますね。
【公園】
その場で、右手をみると、カラフルな滑り台が出現!!
隣には、鉄棒もあります!
神社の敷地内に、公園も併設されているようですね。
【大歳神社3】
本殿に近づいてみると、奥の方に小さいなお参りする場所が見えてきます。
左右にしっかりと狛犬がありますね。
神社っぽいですが、歴史上いろいろな説があるようです。そのあたりは後ほど!!
【大歳神社4】
真ん中にお賽銭箱があって、奥に祀られています。
お正月なので、鏡餅のようなものが備えられていました。
肝心な城跡ですが、詳しい看板がありましたので、実際にみていきましょう。
【看板】
このように書かれておりました~!!
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古大内遺跡(賀古駅家跡)
この遺跡は、出土する古瓦から、奈良時代後期(約1300年前)から平安時代中期(約1000年前)までの遺跡と考えられています。
地元に壇の森と呼ばれている松林があり、大きな礎石が散在していることなどから寺院跡と考えられていたこともありましたが、教信上人が賀古駅家の北に庵を結んだという伝承や、ここから出土する古瓦が、播磨国司の統制下におかれた施設に用いられたいわゆる播磨国分寺系の瓦であることから、現在では、古代山陽道に設置された賀古駅家の跡と考えられています。
賀古駅家は、駅馬40疋を置いたわが国最大の駅家でした。
平成20年3月
加古川市教育委員会
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「駅家」って何?ってことで調べてみました。
→ 令制において,国司の管轄に属し,駅馬をおいて,駅使の往来,駅鈴をもつ官人の乗用に供し,その宿所と食糧を提供する施設。大化改新によって初めて設置され,大宝令にいたって整備された。
なるほど~、まっすん勉強になります!!
【狛犬】
神社やお寺跡かと思っておりましたが、現在の最新データでは、賀古駅家跡ということですね。
石碑には、「古大内城跡」とありました。
歴史はアップデートされていくので、そこが面白いですよね~♪ロマンがあります。
次回の加古川取材をお楽しみに~♪
以上、ご当地ライターのまっすんでした~!!
(現地取材日:2021年1月2日)
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《 下記のポイントは要チェック 》
1. 神社に参拝してから、中を散策すべし!!
2. 子供といくなら、遊具で遊んでみるべし!!
3. 城跡の石碑を調査してみるべし!!
4. 古大内遺跡(賀古駅家跡)の看板で勉強すべし!!
5. 当時の「駅家」を妄想してみるべし!!
増田兄弟
【加古川ご当地ライター まっすん(増田兄弟)のプロフィール】加古川に生まれ、学生時代はずっと加古川で過ごし大学は東大阪の近畿大学でしたが、加古川から通っておりましたので約20年ぐらい加古川で生まれ育ちました。
その後、大阪・神戸で仕事しておりましたが、2012年から加古川市の委託事業として、加古川駅前に「起業支援型シェアオフィス」の立ち上げに関わり、現在も加古川で働いております。
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