地元民が語る加古川ネタ知っとう?
江戸時代に有名な給水スポット!?「下居(おりい)の清水」を取材してまいりました~♪♪
【地元民が語る加古川ネタ知っとう?】は、加古川の地元民だからこそ知るスポットやイベントの情報を突撃取材し、加古川の魅力をバシバシ播州弁で発信していくコーナーです。
印塔
ども、加古川ご当地ライターのまっすんです。
今回の記事は、3つの別名を持つ「下居の清水」を取材してまいりました!!
では早速見ていきましょう!!
この印塔は、先日取材した「宝来神社」と「住吉神社」から、西国街道沿いを少し東にいくとあります。 宝篋印塔
横に看板がありましたので、内容を見てみましょう!!
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宝篋印塔
この塔は、完全な状態で保存されている大きな宝篋印塔です。
基礎の部分の格狭間内には、
開花蓮や一茎蓮の模様が彫り出されています。
また、塔身部の月輪には金剛界四仏の種子を配しています。
笠部の隅飾りには、胎蔵界大日如来の種子を配しています。
この塔は、昔から和泉式部の墓と伝えられています。
和泉式部は平安時代の女流歌人で、各地に伝承が伝わっています。
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完全な状態で残っているのが、貴重なようですね。
百度石
さらに東に進んでいくと、崩れていて見にくいですが、「百度石」のはず!!
「百度石」とは、百度参りの往復の標識として立てられている石のことです。
お参りする神社などの目印になっていることが多いですね。この街道沿いにもいくつかなごりが残っており、以前、まっすんも取材した覚えがあります♪♪
石碑
「下居の清水」があったと言われる敷地内には、このような大きな石碑や墓が敷地内にあります。
本堂
こちらが本堂ですね。
この日は、地元の年配の女性の方が集まって、何かイベントをされておりました。
本堂に近寄っていくと・・・
清水
下居の清水は、もともと井戸のことですが、現在は埋め立てられており、宅地になっておりますが、この本堂の前に、右から読むと「清水」と書かれた石の手水鉢がございました!!
このあたりにもなごりが残っておりますね。
下居の清水1
「下居(おりい)の清水」は、
別名で、
「折井の清水」
「織井水」
「細田の清水」
とも呼ばれています。
下居の清水は江戸時代の頃、瀬戸内海を行く船の船頭が、船着き場から水を汲みに来たと言われる井戸とのこと。
ということは、昔はこのあたりまで海だったということですね。
ここは2号線のあたりなので、想像がつきませんね。
下居の清水2
井戸と当時の人々の姿は、大阪から赤穂までの観光案内「播州名所巡欄図絵」にも描かれていますとのこと。
また調べてみまっす!!
どうやら、「国立国会図書館」にあるようですね。
下居の清水3
当時は街道の要所で人の往来も多かったようなので、野口や坂元の地が、水が大切だったと考えらますね。
先ほどの「清水の文字が彫られた手水鉢」など、太古は、この付近まで海岸であったということがわかる遺跡でもあるようです。
ロマンを感じますね~♪♪
お地蔵様
先日取材した、仲良く並ぶ「宝来神社」と「住吉神社」の前を通る坂は「おりい坂」と呼ばれ、周囲には教信寺、和泉式部の供養塔である「宝篋印塔」、観音堂、弁天社などが続いているので、続きで見ていくと、当時の様子を偲ばせてくれますね~♪♪以上、まっすんでした。
次回の取材もお楽しみに~♪♪
(現地取材日;2018年10月17日) 《 下記のポイントは要チェック 》
・ 下居の清水の3つの別名を調べるべし!!
・ 宝篋印塔の場所を確認すべし!!
・ なごりが残る「手水鉢」を見てみるべし!!
・ 宅地になってしまった井戸あとに立って感じるべし!!
・ 宝来神社、住吉神社から西国街道沿いに観光すべし!!
増田兄弟
【加古川ご当地ライター まっすん(増田兄弟)のプロフィール】加古川に生まれ、学生時代はずっと加古川で過ごし大学は東大阪の近畿大学でしたが、加古川から通っておりましたので約20年ぐらい加古川で生まれ育ちました。
その後、大阪・神戸で仕事しておりましたが、2012年から加古川市の委託事業として、加古川駅前に「起業支援型シェアオフィス」の立ち上げに関わり、現在も加古川で働いております。
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