地元民が語る加古川ネタ知っとう?
加古川市内の戦争史跡「高射砲道路」を取材してまいりました!!
神姫バス「卸団地」停留所南付近から北に伸びる道路になります。
【地元民が語る加古川ネタ知っとう?】は、加古川の地元民だからこそ知るスポットやイベントの情報を突撃取材し、加古川の魅力をバシバシ播州弁で発信していくコーナーです。
【加古川バイパス】
ども、加古川ご当地ライターのまっすんです。
今回で、173記事目の掲載♪
加古川市内の戦争史跡「高射砲道路」の取材にいってまいりました!!
加古川には、戦争史跡といわれる当時の傷跡などが各地に残っています。早速みてまいりましょう。
【白ケ池川1】
今回取材した道路は、このような川沿いにまっすぐ伸びている道路になります。
写真で少し右に、車が走っているのが見えるかと思います。
【白ケ池川2】
川の名前は、このような看板がありまして、「白ケ池川」とのことです。
「白ケ池」という池から、流れている川になるかと思います。
水の色が白いのかも!?
また調査せねば!!
【水路】
まっすぐ進むと、このような水路がでてきます。
加古川は以前も取材しましたが、農業用水で引かれた水路がたくさん街中にあります。
この水路も、水色で加古川にかかっているブルーの「水道橋」を思い出しますね。
【高射砲道路】
川沿いにまっすぐ北に伸びる道路、これが今回取材しにきた、「高射砲道路」になります。
この道路は、戦時中、昭和12,3年頃、水足という地域に、高射砲隊が結成され、弾薬を運ぶために作られた道路とのことです。
【くんれん橋1】
そして、今は、アスファルトで整備された道路になっていますが、かつては軍用道路として作られたので、今でも年配の方はこの道を「高射砲道」と呼んでいるとのことです。
そして、古びた橋が未だに現存しております。
【くんれん橋2】
こちらの橋が、「くんれん橋」と言われ、高射砲連隊の訓練場に通う兵士たちがこの橋を往復したことから名付けられたといわれています。
石碑がありましたが、「橋」と書かれた部分は、アスファルトの下に埋もれてしまっていました。
【名もなき橋1】
この「高射砲道路」はどこまで伸びているのかというと、「水足にあった高射砲」と「尾上の加古川飛行場」まで、伸びていたとのことです。
加古川に、飛行場があったという知識は、以前、まっすんが「かこがわ検定」を受けたときに、学びました!!
歴史を知るって大事!!
【名もなき橋2】
ちょっと先に、鉄できた橋がありましたが、壊れており、近寄ると危険な感じになっておりました!
要注意スポット!
近づかないほうがいいですね。
【交通看板】
道路を5分ほど北上して、上を見上げてみると、道路の看板が立っており、かつてはなかった「東播磨道」の表記ができておりました。
この道ができてから、加古川バイパスから北上するときに、とても便利になりました。
【東播磨道】
そして、その東播磨道の写真がこちら!!
まだできて間もないので、とても道路の壁面もきれいですね♪
実は、この道路の高架下をくくって、信号をわたり、ちょうど、北東の角に位置する場所にも、戦争当時の名残りがあります。
【貯水槽跡】
実は、こちらの広くアスファルトで固められた場所に、当時、「貯水槽」があったとのことです。
戦争という歴史は、2度と繰り返してほしくないですが、先人が、命をもって作ってくれたものがあるので、今があると考えると、故人を偲び、いまをしっかりと生きていきたいですね。
まっすんも、そんな歴史や加古川のルーツを少しでも知ってもらうために、ご当地ライターを続けています。これからも、がんばりまっす!!
次回の加古川取材をお楽しみに~♪
以上、ご当地ライターのまっすんでした~!!
(現地取材日:2021年12月19日) ▼ 「加古川市」が紹介されている動画はこちらから!! ▼
《 下記のポイントは要チェック 》
1. 「高射砲道路」を自分の足で歩いてみるべし!!
2. かつて戦争資材が運ばれてた当時を想像すべし!!
3. 兵士たちが往復していた「くんれん橋」を確認すべし!!
4. 壊れかけの橋には、注意すべし!!近寄るべからず。
5. 戦争の歴史を偲び、故人に感謝の念をいただくべし!!
【増田兄弟・兄まっすん】 ※ 写真は30代前半!!(笑)