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地元民が語る加古川ネタ知っとう?

加古川にある宮本武蔵の養子「宮本伊織」ゆかりの泊神社を取材してまいりました♪♪

伊勢神宮の御神体が泊まり着いたといわれる歴史ある神社

【地元民が語る加古川ネタ知っとう?】は、加古川の地元民だからこそ知るスポットやイベントの情報を突撃取材し、加古川の魅力をバシバシ播州弁で発信していくコーナーです。
宮本武蔵・伊織ゆかり
宮本武蔵・伊織ゆかり
もう幾つ寝ると~♪♪
お正月~♪♪

ども、加古川ご当地ライターのまっすんです。

今回は、「わがまち加古川60選」シリーズのひとつ「泊神社」を取材してまいりました!!

もうすぐ2017年も終わろうとしておりますが、クリスマスの当日に、キリスト教のイベントにも関わらず、朝から神社を参拝ついでに、しっかり取材してまいりました!笑

この神社の名前の「泊」は、後に説明しますが、「あるモノ」が泊まり着いたことに由来しています。

では、早速、「宮本武蔵のゆかり」の神社を見ていきましょう!!
わがまち加古川60選
わがまち加古川60選
神社境内に入ると、左手に、「わがまち加古川 60選」の看板がございました。

まずは、神社の基礎知識を看板で見ていきましょう!!

----------- ここから -----------

神代に伊勢神宮の御神体の一つである御鏡がここに泊まり着いたことから泊神社が起こったといわれています。祭神は、天照大神・少彦名神(すくなひこなのかみ)・国懸大神(くにかかすのおおかみ)です。現在の社殿は、承応2年(1653)宮本武蔵の養子、宮本伊織が改築した時のものといわれています。一歩足を踏み入れると境内は広く、南北朝時代の石弾城(いしはじきじょう)の石垣と思われるものや宮本伊織寄贈の花崗岩製の灯篭、市指定文化財の36歌仙図絵馬が残っています。

----------- ここまで -----------


伊勢神宮の御神体の一つである御鏡がここ加古川まで流れてきた(泊着いた)から、泊神社とのこと。

どうやら、昔はこの神社のあたりが海だったってことですね。

今は、街中にありますが、海があったなんて信じられませんが、ロマンを感じますね。
由緒
由緒
「わがまち加古川60選」の反対側には、神社の由緒が書かれた石板がございました。

由緒はこんな感じ!!

----------- ここから -----------

【 泊神社御由緒 】

神代に天照大神が天岩戸にお隠れになったとき、大神の怒りを解く為に、群神事計り御鏡を造った後に一つは伊勢神宮に祀られ一つは海に流された。大和時代に、それが泊まり着いた所に檍の木が有り檍原泊大明神として祀ったのが当宮の起こりである。

大昔は、此の辺りは海浜であり、泊の神号は以上から由来する。

飛鳥時代には、聖徳太子が鶴林寺を建立の際、側近の棟梁の秦河勝が紀伊の国から自身の氏神である国懸大神を勧請し社殿を建立した。南北朝には石弾城が築かれていた。

降って承応二年(一六五三)には、宮本武蔵の甥で養子の宮本伊織が、小倉藩筆頭家老に就き、故郷の氏神である当宮の荒廃を嘆き武蔵の供養の意を込め、浄財を寄進し、全社殿一式を再建した以後宮本家氏神とし、一族より崇敬された社格正一位 社領十石を給わる明治には、郷社格に列せられる 主祭神は天照大神 国懸大神 少彦名大神 末神は稲荷神 八幡神 菅神等諸願成就神徳

----------- ここまで -----------

「石弾城」がここにあったみたいですね。

「由緒正しい」という言い方をよくしますが、加古川の鶴林寺も聖徳太子ゆかりですね。

加古川にも、たくさんの歴史的価値がある場所をあらためて発見できますね。

これからますます取材が楽しみになってきました♪♪
城跡
城跡
左手の中央付近にあるブルーシートがかぶったものを発見!!

はじめは、相撲をとる土俵?かと思っておりましたが、近くの看板をみると、先ほど紹介した「石弾城」の跡のようですね。

シートをしていたので、中をみることができませんでしたが、御開帳する際は、ぜひみてみたいです。
石禅城址
石禅城址
ここにお城があったことを示す看板が近くに立っておりました。

----------- ここから -----------

【 石弾城址 】

城主は、大井三樹伊預守宰任従五位左京亮で、
暦応二年八月三十日雁南荘地頭職を給わり、
この城に居を構えた。

次宰の五男に雁南右衛門四郎勇という者がいて、
永和元年、五月五日父の跡を継いだ。

正六位に任じられ、主馬助と号し赤松氏に従っていた。

この勇の長男に雁南刑部太郎長という者がいた。

亨徳三年家督を継いで木村源五郎と号した。

父にしたがって武功があったが、康正元年父勇討死の後、なおこの石弾城を固め守っていたが、長禄元年三月、山名宗全に攻められ討死して遂に落城した。

昭和五十九年三月 加古川市文化財保護協会

----------- ここまで -----------

なるほど、お城は落城したので、建物はなくなっているとのこと。

当時のお城の様子を再現できるようでしたら、ぜひ見てみたい!!
能舞台
能舞台
そして、神社の入り口右手奥には、「能舞台」があります。

これは、神社では珍しいですね。

調べたところ、以前、こちらで能のイベントも行われたとのことです。

昔ながらの日本の伝統芸能を、現代に伝えるということもとても大事ですね。

まっすんも能は、今までしっかりと見たことがないので、機会があればぜひ見てみたいと思います。

最下部の動画で、能のイベントの様子を映像でみることができるので、一度みてみてください♪
36歌仙図絵馬
36歌仙図絵馬
本殿手前に、こちらもこの神社の大きなポイント、「36歌仙図絵馬」が飾られています。
36歌仙図絵馬
36歌仙図絵馬
絵はとても綺麗で、百人一首の絵柄のようなモノが額に入れられて飾られています。

こういう絵が寄贈されるということは、この神社はやはり由緒が正しいということが伝わってきますね。
各種神社宮
各種神社宮
そして、本殿を取り囲むように、小さな祠が、10基ほどあります。

それぞれに、神社の名前が書かれているので、各神社の分社のようなものかなと思いました。

こちらを詣ると、そこの神社を参拝したことになるみたいな感じで。

いろんな神社をいろいろまわってきましたが、時々このような神社が見受けられますね。
泊神社前
泊神社前
本殿前には、メタリックなこのような看板も立っております。

----------- ここから -----------

【 泊神社 】

本社は、大和の時代に伊勢神宮の御神鏡の一つがこの処に泊まり着き、お祀りしたのが発祥です。

承応二年(一六五三)、宮本武蔵の甥で養子の伊織が一族の氏神である泊神社の荒廃を嘆き、浄財を寄進して全面的に社殿を改築再建立しました。

この時、伊織は、武蔵の生地が播磨であることを書き記した第一級資料である棟札を奉納しました。

伊織は、他に、狩野探幽の門人であった甲田重信の作といわれている三十六歌仙図絵馬(市指定文化財)を奉納し、本殿裏の石玉垣の囲いの中に、一族の田原正久が寄進した石灯篭と並んである高さ二七九センチの花崗岩製の石灯篭を寄進しました。

----------- ここまで -----------


「石灯篭」の紹介は後ほどでてきますが、武蔵の生地が播磨には驚きですね。

全国的に、そして歴史的にも有名な方が、加古川にはたくさんいらっしゃることに大変嬉しく思います!!
本殿
本殿
どーん!!

こちらが、泊神社の本殿。
堂々たるたたずまいです。

まっすんは最近、神社で本殿をみると、興奮してきます!!笑

神社は、本殿に出会った時の迫力で、違いを感じるようになってまいりました!!笑

最近、だんだんまっすんも神社オタクになってきました!!笑
神楽殿・幣殿
神楽殿・幣殿
そして、本殿を横からみると、裏側に「神楽殿」「幣殿」の建物、繋がるように建っています。

ここの神社は、本殿の後ろにある殿の大きさがとても大きいので、迫力が違います。

当時の宮大工さんの力は本当にすごいです。何時間でもみることができます!!笑
そして、「本殿・神楽殿・幣殿」の裏側に、前半で紹介した、「灯篭」が2基たっております。

灯篭の横の看板に、このように書かれておりました。

----------- ここから -----------

【 泊神社 灯篭 】

この本殿裏の二基の灯篭は、宮本伊織とその一族である田原正久が寄進したものです。

二基とも花崗岩製で、承應二年三月に寄進したことが、銘文によって明らかです。

宮本伊織寄進のもの(右側のもの)は、全高二七九センチ、田原正久寄進のものは、全高一六五センチあります。

平成二年六月 加古川市教育委員会

----------- ここまで -----------


大きな灯篭ですね!!

泊神社に行った際は、裏側なので、こちらの灯篭を見落とさないようにしたいですね。

要チェック♪♪


まっすんの取材も32箇所目。

泊神社が、2017年最後の取材先となりましたが、また来年も、まいぷれ加古川「地元民が語る加古川ネタ知っとう?」のコーナーをよろしくお願い致します!!

以上、まっすんでした!!
良いお年を♪♪

来年のレポもお楽しみに♪♪

(現地取材日;2017年12月25日)
▼ 「泊神社」の紹介動画はこちらから!! ▼
《 下記のポイントは要チェック 》

・ わがまち加古川60選

・   36歌仙図絵馬を見るべし!!

・ 裏手にある宮本伊織寄進の灯篭を見るべし!!

・ 石弾城(いしはじきじょう)の石垣を探すべし!!
 
・ 能舞台の能のイベントに参加すべし!!
【 所在地 】 加古川町木村658

【 アクセス 】 神姫バス「稲屋」下車すぐ
増田兄弟
増田兄弟
【加古川ご当地ライター まっすん(増田兄弟)のプロフィール】

加古川に生まれ、学生時代はずっと加古川で過ごし大学は東大阪の近畿大学でしたが、加古川から通っておりましたので約20年ぐらい加古川で生まれ育ちました。

その後、大阪・神戸で仕事しておりましたが、2012年から加古川市の委託事業として、加古川駅前に「起業支援型シェアオフィス」の立ち上げに関わり、現在も加古川で働いております。


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